中、高校のようにいろんな専科の先生もあれば、小学生の先生のように、いろんな事を教えなければいけない先生もある。
その中で、あえて体育の先生になろうとする学生に、ダンスの指導法を指導する授業。
主要5教科のように、教える事におもきを置いた内容と違って、生徒の出来る出来ないの答えがすぐ目に見える体育。さらに絞り込むと球技や競技は明確なので、先生となるにはできる限り上手くなることが必要で、逆に言うとそれがメイン。
ところがダンスって、上手いに越したことはもちろんないんだけれど、身体的能力以外に、自由な発想的頭脳を必要とする!と四半世紀この授業に就いていていつも感じる。
その発想を良い悪いと判断するには、指導者のいろんな経験も大切だし、その上人間的幅が大きく左右する。
火山の噴火を表現することもあれば、お掃除する人を表現することもある。
何をもって、いい作品とするかの判断をする人が先生と呼ばれる立場となるんだから、そりゃすごいですわ。
火山の噴火を人間が身体で表現する、熱、大きさ、過程、シチュエーションいろんな側面から見て、良いところを探すこともできるし、全く伝わらない場合も勿論ある。それでもその中の良い部分を見つけてあげれる先生であり、伝わらないと、ジャッジしてどうしたら伝わるかを指導し、ヒントを出してやらなければいけない。
じゃあお掃除する人を表現するのが簡単かというとそうでもなく、掃除の動きをダンス化するにはおそらく柔軟の極みな頭脳を持ち合わせないと。きれいにできました掃除!を見せるわけではない。
その上での音楽をどう浸透させてコラボさせるかを学生たちに指導している。
内容的には本当に奥の深い内容で、語り出すと取り留めもないんだけど、一つ、四半世紀以上の経験値からのみ言わせてもらうと、先生となる人間の資質ってるかなりあるよね。
指導案が完璧でも指導力がない。
指導力はかなりあるんだけど内容に乏しい。
どちらもかなりこの『教師』という職業に就くには難しいけれど、
両方持ち合わせている子もこの学ぶ段階ですでにいる。
こういう子は絶対先生になってほしいなぁと思う。
何気なく行ってた学校で学ぶ事って本当に大切な事がいっぱいあって、そこで出会う先生という方はかなり子供たちの育成に関係してくるんだなぁ。。
digoku-nico様、イラストお借りしました。
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